ホワイトデーは妻の器量
長く派遣社員で働いていると、バレンタインには、会社独自のルールがあるところが多いです。
今年の会社はどんなルールがあるのか、確認する日でもあります。
チョコは厳禁、という会社もありますし、リーダーシップのある女性社員が取り仕切って全員分を購入し割り勘でお金を徴収するところ、または何と無くポツポツあげたりあげなかったりする女性社員がいたりいなかったりする会社もあれば、女性同士でチョコレートを交換する風習のあるところ、などなど、なんとなくバレンタイン前後はそわそわした雰囲気になるので、外れないよう、でも出過ぎないよう、気を使う時期でもあります。
その分、バレンタインが終わるとホッとした安堵感があったり。
今年は女性社員でまとめてチョコレートを購入し、男性社員一人一人にあげるのが通例、という会社で、前持って準備のお知らせが滞りなく来る派遣先だったので安心して過ごしました。
そして毎年思うのですが、かわいそうなのその一ヶ月後のホワイトデーだと感じます。
ホワイトデーを期待している女性は少数名のでは?むしろ日々の業務に追われて忘れている女性が多数のような気がします。
そんな中、今年は特徴的なお返しをいただいたので、記憶に残ったホワイトデーになりました。
まず、先程申し上げたとおり会社内のバレンタインには暗黙のルール、もしくは、例年と同じ方法でバレンタインをする、という会社が多いのですが、男性側のホワイトデーにはバラツキがあるなと、薄々感じていました。
必ずお返しをする人、忘れている人、お菓子のプレゼント、ハンカチ付きなど様々ですが、男性陣は個人個人で用意する方が多数なのかなと思います。
でも、ホワイトデーの売り場に一人で行くのも勇気がいって大変そうだし、小さな可愛い包みを男性が吟味する、というのもあまり多数ではないような気がします。
今年いただいたお返しの中で印象的だったのは、ある男性社員の奥様が用意したホワイトデーのお返しの品でした。
もともと愛妻家で知られる男性社員でしたが、お返しの品は、女性社員一人一人へ違うものを選んでプレゼントしてくれたという奥様でした。
何でも、普段から会社内でのスタッフとの日常的な会話や、今日の出来事などを毎日家庭でお話なさっていて、奥様は女性社員一人一人の好みを予想してプレゼントを用意してくださったのだそう。
私がいただいたのは、ミニサイズのバスソープで、以前に半身浴が好き、という一言を覚えていてくれたそうです。
そのほか、ランチはいつもお弁当の女性社員には使い捨てのペーパーナプキンや、流行に敏感でおしゃれな女性社員にはクローゼットで使う香りのサシェなど、ちょこっとしたものが添えられていました。
もしも男性からのお返しでこの品々なら少し引きますが(笑)、奥様の細やかな気遣いということで感心しました。
何より、毎日のコミュニケーションがうまく行っている家庭、お互いを思いやっているご夫婦なんだなという印象を受けました。
ふと自分を思い返すと…旦那のもらってきたチョコレートをバリバリ食し、ホワイトデーなんてすっかり忘れていたことに気づき…。
しかしホワイトデーの次の日にお返しを持たすわけにもいかず…この奥様と比べて、すごく差があるということに自分で気づいた次第です。
妻としての不甲斐なさを感じました。
きっとホワイトデーに期待している女性は少数派だろうと思いつつも、だからこそ、思いやりを持ってこのイベントを楽しめる、そんな妻のイメージっていいな!! 来年は旦那に義理チョコをくれた皆々様に感謝することを忘れず、せめてお返しのお菓子は用意しようと、心に誓った今年のホワイトデーでした。
お歳暮とは
お歳暮を贈るからには、贈った相手に対して贈り主の心が通じ、
かつ受取った方に喜んでいただける品を選びたいものです。
一般的には、「お酒」、「みかん」、「ハムなどの詰め合わせ」、「銘菓」などは平凡なお歳暮なような気がします。自分がお歳暮をいただいた時は大抵、そのような品物で新鮮味を感じなかったからでしょう。
いただいて、梱包を開けてみると「ウイスキーセット、缶詰めセット、みかん」だよと妻も子供も声を揃えて言います。その声は決して、がっかりする声ではありません。
自分達が驚くようなとびきり嬉しい品でなかっただけの話なのです。
妻はこれでハムを買わずに正月用品が揃った、と内心嬉しいのです。子供は自分達が食べられるみかんが増えたと思うのです。
自分もウイスキーをもらって、まんざらでもない気分です。
しかし、自分が日頃からお世話になっているか方に、心を込めてお歳暮を贈りたいと考えた時に自分が頂いていたお歳暮の品の類では満足できないのです。
とにかく特別な感謝の心をお伝え出来る品物を探したいのです。お歳暮を購入する予算をとめどなく増やすならば、高価なウイスキーとか日本酒でも人気銘柄の詰め合わせとかのお歳暮にすれば喜んでもらえるのは分かっています。しかし普通の家庭では予算は限られているのです。限定された範囲で考えるとなかなか名案が浮かばないのです。あのお宅は何時も家の中をお花とか壁かけで綺麗にしているから、「綺麗に装飾された置時計」はどうだろうか?あそのお子さんは良く海外旅行に出かけるから「各国の時間、通貨換算が素早く出来る電卓」はどうだろうか?と種々頭を巡らすのです。そして、アイデアと予算とデパートのショーウインドーに飾られている商品が合致すれば決定します。
このようにして決めて贈っていたお歳暮に対して、このような話があります。先輩から「親心として気を悪くしないで聞いてくれ」と言いつつ、憤慨する話をされました。
「君のお歳暮は何時も良く考えて苦労して選んでいると思うけど、A君のお歳暮とはちょっと違うのだよ!今度、A君に参考に聞いてみてはどうか?」と言う話です。
要するに、「自分のお歳暮には喜べるものが無く、A君のは重宝な品と考えるから教えて貰え」と言う憤慨する話なのです。お歳暮を受け取る者としてマナー違反、とその先輩を蔑みます。
けれども、お歳暮を受取る立場にすると、それも一つの考えだと傾聴に値する部分が多いにあります。A君のお歳暮は海産物、と聞かずとも自分は知っていました。
実際、自分の家でもそのようなお歳暮をA君から貰ったこともあるし、A君の奥さんの実家は漁師町なのです。ですから「ウニ」「筋子」「昆布」「鮭」の類なのです。
魚屋に行くと店頭に並んでいる物ばかりです。お歳暮を頂いた方は、皆そのような海産物を頂いて嬉しく思うのでしょうか?
たまたま、アドバイスしてくれた先輩はそのような贈り物が嬉しかったのではないだろうか?それとも、何人からもお歳暮をもらっていて、たまたま自分のお歳暮だけが風変りで、
しかも先輩の好みに合わなかっただけの話ではないのだろうかとも言えそうです。
最近カタログ販売がかなり一般化してきました。贈り物でも「カタログの中からお選び下さい
と言う贈り方が流行ってきました。
そのカタログの中には、かって自分が贈った商品もあります。
実際に自分はカタログを添えた贈り状を頂き、カタログから料理用の量りや、妻の選択でお鍋等を選んで、とても嬉しいお歳暮を頂いた経験があります。
お歳暮の選び方としては無難なものは海産物とか果物等の食品なのだろうか?それ以外の商品を選ぶとすれば、よほど受取る人の性格を見抜いて決めなければ、誠心誠意心を込めて贈ったとしても空振りどころか、贈り主の性格まで詮索されてしまう恐れがあるのです。
そんな訳で、デパートなどのお歳暮売り場に並んでいる商品はそれなりに吟味された商品と考えるべきなのです。
そしてカタログによるお歳暮も悪くはありません。ただ気になるのは、予算の幅があれば良いのですけれど、自分のように精々1万円程度のお歳暮商品ばかりを載せたカタログは値段があからさまに分かってしまい、少々気になるところです。
父の日とは
母の日と比べると少し地味な印象の父の日について、歴史を紐解いてみようと思います。
父の日とは、一家を支えてくれる父親に感謝する日で、6月第3日曜日とされています。調べていくと私の第一印象の通り、母の日の後に出来た記念日のようであることが判明しました。
1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われています。彼女が幼い頃南北戦争が勃発しました。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになりましたが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなったそうです。それ以来、男手1つで育てられましたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなりました。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われました。
当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まったのが起源です。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラを贈るのがアメリカでは一般的です。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされています。1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられています。“白いバラ”は、花言葉に「尊敬」という意味を持ち、まさにお父さんに贈るには最適と言えるでしょう。
日本では、父の日の認知があまり進んでいなかったせいか、父親にバラが贈られるといった風習はありませんでした。そんな状況に変化が生じたのは、81年に社団法人日本メンズファッション協会が「日本ファーザーズ・デイ委員会」を立ち上げた頃です。同委員会は「父の日黄色いリボンキャンペーン」を展開し、身を守る、愛する人の無事を願うといった意味がある「黄色」をイメージカラーに選定しました。これをきっかけに、日本でも黄色いバラや、黄色いリボンが巻かれたプレゼントが父親に贈られるようになりました。なお、同委員会は毎年、日本で最も素敵なお父さんを選ぶ「ベスト・ファーザー イエローリボン賞」を開催しており、2009年には俳優のつるの剛士ら6人が受賞しています。 最近ではこの賞の影響で、ひまわりなどの黄色い花を贈るのも一つのステータスになっているようです。
世界の父の日事情も様々なようです。
台湾の父の日(父親節)は8月8日です。これは、「パパ」(表記は??)と「88」の中国語の発音が同じであることに由来しています。
ブラジルでは、母の日の3ヶ月後の8月第2日曜日が「父の日」(Dia dos Pais) です。ただし、国の休日ではありません。1950年代に Sylvio Bhering が、聖ヨアキムを彰して提唱しました。
ロシアでは、2月23日が「祖国防衛の日」(День защитника Отечества) とされ、軍人・退役軍人に感謝する他に、父親・夫・男性に感謝する日となっています。
ドイツでは、国の休日である昇天日(復活祭の39日後の木曜日で、早ければ4月30日、遅ければ6月2日)が、「父の日」(Vatertag) でもある。「男の日」(M?nnertag) や「紳士の日」(Herrentag) とも呼ばれます。
日本では、お花よりプレゼントを贈ることが多いのではないかと思います。お酒やネクタイなど世の男性が喜ぶものを探して百貨店の売り場を見て回るのは毎年の恒例行事として定着しつつあるのではないでしょうか。毎年、違うプレゼントにしようと悩むのも恒例になりつつあります。
母の日
母がいなくなった今でも毎年、母の日には心の中で「ありがとう」、とつぶやき母の日の思い出を思い出します。
「社会人になって、しっかり稼ぐようになったら母の好きなものを買ってあげたり、旅行に連れていったり、たくさん親孝行してあげたい」、と子供の頃から思っていました。
これからお話しするエピソードは、私にとっては「最後」の母の日の出来事です。
一人っ子ということもあり、子供の頃から両親にとても大切にされ、いわゆる箱入り娘でした。
大学進学の際は私の勉強したい意志に負け、親元離れて東京の学校で学ぶことを許してくれた両親でしたが、上京して間もないこともあり、特に母からは頻繁に私の身を案じるメールや電話がきていました。
当時の私は親不孝だったのですが、心配してくれる母の気持ちがいまいち理解できず、母のことをうざったがっており、結構キツイ言葉(もう半ば八つ当たりのような感じです)を投げかけて母を悲しませることもありました。
大学生活にも少しずつ慣れ、5月のゴールデンウィークが過ぎても未だに状況は改善されず母とはぎくしゃくした状況が続きました。
いつまでもこうしてはいられない、かといって改まって謝ることもできず数日が過ぎたころ、母の日が近づいていることに気づき、この日を利用して仲直りしようと思いました。
プレゼントを贈ろうかとも思いましたが、残念ながら金欠で買うお金がなく、「プレゼントは来年にして、今年はメールでもしよう」と決めました。
ですが、いざメールを打とうとなると語彙にも乏しく筆無精な私は文章がうまく書けません。
ごめんなさいと、ありがとうという言葉をどう伝えようか必死に考えましたが消してはまた打ち、の繰り替えして進みませんでした。
そんなとき、ふと母と過ごしてきた日々が思い出されました。
母は本当に立派な母でした。
言葉にしなくてもいつも私のちょっとした心の変化や気持ちを察してくれたり、以心伝心かと思うくらい理解してくれました。
どんな時も話を聞いてくれ、真剣に悩みに相談に乗ってくれましたし、心が折れそうなくらいつらいことがあったときも喝を入れつつも最後は必ず「ママは絶対あなたの味方だからね」と励ましてくれました。この言葉に何度救われたでしょうか。
したいことがあったでしょうに、(私の家庭は決して裕福ではないにも関わらず)大学に行きたいといった私の気持ちを優先してくれ、自分への投資はほとんどせずに学費に回してくれました。
いつも私を叱ってくれるときは、私の至らない点について話しつつも母が子のためを思って必死で語りかけてくれるような感じでした。
思い出していくうちにふと、これだけ愛情を注いでくれたのだから、娘が離れて暮らすことを案じない訳がない、と今更ながら感じました。
また同時に、自分のことを心から案じてくれている数少ない家族を疎ましく思っていた自分が情けなくもなり、母に対して本当に申し訳ないきもちでいっぱいになり、思わず泣いてしまったのを覚えています。
結局悩みに悩んだ結果、シンプルではありますが「ママ、いつも本当にありがとう。最近はつらくあたってゴメンね。こんな娘だけど、これからもよろしくお願いします。」というメールを送りました。
返事がくるまではドキドキしました。
こんなに短いメールで失望したのか、などよからぬ考えを浮かべては頭を振り、の繰り替えし。
やがて母から返信がきました。緊張しながらメールを開いたら、私からのメールへの喜びが長々とつづられていて、とても胸がつまりました。
これからは母への感謝の気持ちを忘れまいと誓い、離れて暮らしているからこそコミュニケーションを大切にしようと決意した一日になりました。
これが最後の母の日で、その年の秋に母は亡くなり、親孝行らしい親孝行はできませんでした。
孝行のしたい時分に親はなしという言葉がありますが、まさにその通りになってしまいましたが、あの時に思いを伝えておいて本当に良かったという気持ちでいっぱいです。
まだ親御さんがご健在のかたには、1年に1度くらい「ありがとう」と言ってみてはいかがでしょうか。プレゼントもうれしいと思いますが、きっとその言葉だけでもとてもお悦びになると思います。
バレンタインとチョコレート
バレンタインの起源はローマ
毎年2月14日といえば、バレンタインデーとして広く知れ渡っています。
日本では女性から男性へチョコレートと共に感謝や愛情を伝える日となっています。
しかし、外国においてはこの限りではないようで、単純に男女区別なく愛を誓い合う日であるとされています。
日本にこの風習が輸入される際に変化したわけですが、そもそも正しいバレンタインというのはどういうものだったのでしょうか。
バレンタインデーの起源は諸説ありますが、古くはローマ帝国にあるとされています。
当時のローマでは2月14日は、ローマ神話における女性の結婚生活を守護する女神であるユーノーの祝日であったとされています。
翌日の2月15日は豊年を祈願するルペルカリア祭であり、その祭りの間は男女が対になって過ごすという定めがありました。
その祭りでパートナーになった男女の多くはそのまま結婚したと言われています。
しかし、当時のローマ帝国では「愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がる」という理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれています。
そんな兵士を秘密裏に結婚させていたのが、キリスト教司祭であったヴァレンティヌスです。
法を破ったヴァレンティヌスは捕らえられ、処刑されることとなります。
処刑の日は、ユノの祭日でありルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれ、ヴァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたと言います。
そのヴァレンティヌスを讃え、キリスト教徒にとっても2月14日は祭日となり現在のような恋人たちの日となったと言うのが、一番有力とされている説です。
起源を見てみると、日本では必須のチョコレートのチョの字も出て来ません。
それでは何故日本ではチョコレートを贈るという風習になったのでしょうか。
日本でバレンタインが広まったのは1958年、昭和33年の頃と言われています。
戦後の日本の流通業界や製菓業界が何か売りは無いかと探していた所にこの風習が入ってきたもので、これらの業界が便乗してブームを作り上げたということのようです。
そしてその日本のバレンタインとチョコレートの起源を探ると、いくつかの会社が挙げられています。
日本のバレンタインの独自進化には、神戸モロゾフ製菓、メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹、森永製菓、ソニープラザなどの企業が関係していると見られています。
神戸モロゾフ製菓は、東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を出しており、現在確認されている最古の「バレンタインにチョコを」という広告です。
メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹は、1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行っており、チョコと関連づけたセールを行ったのはここが最初と言われています。
森永製菓は1960年よりバレンタインとチョコを絡めた広告を打ち始め、伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説もあります。
ソニープラザ説は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としていますが、この頃にはある程度下地が出来ている以上、発展というより下地が出来たブームに便乗しただけと言えるでしょう。
海外ではカードや花、ケーキなどを男女区別なく贈り合うというのがバレンタインの祝い方ですが、チョコレートも使われています。
バレンタインのチョコレートは、19世紀後半にイギリスのキャドバリー社が始めたと言います。
キャドバリー社はハート型チョコなどのバレンタインキャンディボックスを発売しています。
独自進化と言われる日本のチョコレートを贈るバレンタインも、実は外国の文化の一つとしてあったものを輸入しているだけだったようです。
- 喜ばれる料理
- バレンタインデーに愛のこもったプレゼント
- 自信作のチーズケーキ
- 困ったときの鶏のクリーム煮
- 彼の胃袋をつかみました
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